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マニエリスム
16世紀後半

長い間、絵画は聖書や伝承などを主題とし、誰が見ても分かるように描かれてきた。

画家は自分の個性を表現することを仕事としていなかったのである。自分の属している社会集団に共通している、普遍的なものを描くのが仕事だったのである。

調和を重んじ、分かりやすく、かつ、品位を持った作品が好まれた。これが、古典主義である。

キリスト教と人間生活、個人と社会集団、これらの調和が理想とされ、安定感を与えたのである。

しかし、16世紀になって、その人文主義で、安定を支えていた社会が崩れだしたのである。

まず、キリスト教の分裂である。人々は何を、どう信じればいいのか、混乱した。

次に、科学の発展による天動説的宇宙観の崩壊。コペルニクスの地動説に代表される。レオナルド・ダ・ヴィンチも、聖書の宇宙創造神話を疑い始めた。

人々の生活に直接、影響を与えたのは科学の発展よりも、社会の変化であった。

スペイン、フランス、オーストリアなどが、絶対主義王制を確立した。封建的地方分権主義を終わらせたのである。

それらの大国が、イタリアの小都市国家を制圧していったのである。

近代の絶対主義への転換である。そういった流れの中、宮廷を中心とした新たな文化が起こってくる。

16世紀初頭から、イタリアの画家たちは、これら絶対主義王制の国々へ移住した。

フランス宮廷へ入ったのは、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ロッソ・フィオレンティーノなどであった。宮廷の名をとってフォンテーヌブロー派と呼ばれた。特徴は装飾美とエロティシズムである。

たとえば、イタリアでも、16世紀初頭、フィレンツェの共和制がメディチ家の君主制によって終焉したころ、決定的な様式の変化が起こった。教会より宮廷が顧客となるので、共通理解など必要とされなくなる。絵画は民衆から乖離していく。

トスカーナ公国として、コジモ一世が統治するようになっていく。大国スペイン皇帝の妹を妃として迎える。王族は民衆よりも、姻戚関係のある他国の王宮との結びつきのほうが、重大事となっていくのである。

このような中、宮廷が舞台である国際マニエリスム様式が生まれてくる。
参考文献: 『絵画を読む』 若桑みどり著 日本放送出版教会

ロッソ・フィオレンティーノ  (1494-1540)
ポントルモ  ( 1494-1556)
ブロンズィーノ  ( 1503-72)
コレッジョ  (1494−1534) 
パルミジャニーノ  ( 1503-40)
ドッソ・ドッシ ( 1490-1542)
ロット  ( 1480-1556)
ベッカフーミ ( 1485-1551)
エル・グレコ (1541−1614)
モラレス  (1520-1586)

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