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ライト・オヴ・ダービー
(1734-1797)
イギリス ロマン主義

1734年、イングランド中部ダービーに生まれた。

1751年、17歳でロンドンに出て、肖像画家として評判を得た。

1760年代、キャンドルライト画という、新しい分野の絵画に取り組む。

ライト・オヴ・ダービー 【 太陽系儀について抗議する哲学者 】 1764-66 | 147.3 x 203.2 cm | ダービー美術館
16世紀から17世紀にかけての、いわゆるガリレオ、ケプラー、デカルトなどに代表される化学革命は、18世紀の啓蒙主義の時代になって、化学崇拝ともいえる現象を巻き起こした。

その先駆はニュートンである。惑星の軌道と落体の法則を数学的に結び合わせたのである。人々がそれまで持っていた自然観に絶対的な影響を及ぼした。

この絵は、18世紀初頭に発明されたオーラリ(渾天儀こうてんぎ)は、天体モデルであるが、ニュートンの理論をそのまま絵画化したものである。

中央は哲学者(科学者という言葉は、19世紀になって初めて使われた)で、中流階級の素人相手に、天体の規則と神の諸法則を解説しているところである。

中央の哲学者はニュートンの肖像をもとにしている。

手前の少年の左手に地球と月、もう少し離れた左手に、土星が見える。

ライト・オヴ・ダービー 【 空気ポンプの中の鳥の実験 】 1767-68 | 182.9 x 243.8 cm | テイト・ギャラリー、ロンドン
1650年、ドイツのマクデルブルクで空気ポンプが発明された。その約10年後、ボイルーシャルルの法則によって、イギリスで最初の空気ポンプが作られた。

それから、約一世紀後、改良され、価格も手ごろになった空気ポンプは、知識人の書斎に普通に見られるようになり、哲学者(科学者)たちは、実験装置を携えて、イギリス各地を実演講義して歩いた。

この絵は、その実験講義の現場である。

窓の外には、月が見えているので、時間は夜である。

中央のガラス鉢の中に、ボタンインコが閉じ込められている。ガラス瓶の中は空気が抜かれ、真空状態になっている。ボタンインコは仮死状態である。

中央の科学者が手を上げている。彼が、空気を送り込むのである。ぎりぎりの瞬間に空気を送り込めば、インコは蘇ることができるのである。もし、少しでも遅れれば、インコは死んでしまう。

こういった小動物を使った実験は、あまりに残酷なので、非難を浴びていた。そこで、小動物の代わりに、人口肺や浮き袋なろどを使っていた。しかし、ダービーは、あえてここに、小動物を描きいれた。しかも、ボタンインコは、当時、貴重な鳥であった。悲劇性と緊迫感を高めるためである。

右横のピンクのドレスを着た少女たちは、鳥の運命を思って、心配そうに顔をしかめたり、顔をそむけている。

科学者の左横には、恋人たちがいる。実験など気にも止めていない。

一番左の二人、若者と少年、実験に夢中である。

テーブルの右端は老人。静かに、何か考えている。おそらく、鳥の死と自らの死を重ね合わせているのかもしれない。

科学者は髪を振り乱し、何かに憑かれたような顔つきである。この何かに憑かれたような科学者のイメージは現代でも通用する。

インコが入っているガラス瓶の下に、ガラスの器がある。中身は骸骨ではないか、という説がある。光源は、このガラスの器に、隠れているキャンドルらしい。

生のはかなさを表す「ヴァニタス」のテーマである。キャンドルは時の経過を表し、髑髏はその結果を表す。

テーブルを囲んでいる老若男女は、少女(幼年)、恋人たち(青年)、老人(老年)という組み合わせで描かれる「人生の諸段階」を形成している。「人生の諸段階」のテーマは、「ヴァニタス」同様、すべてのものにやがて死が訪れる、という人生の虚しさを表している。

ライトは、こういったテーマを、化学実験という、全く新しい主題の中で描いたのである。

また、「ヴァニタス」や「人生の諸段階」という観点から考えると、鳥は、キリスト教的意味合いにおいて、人間の魂の象徴である。

人間の魂が、科学者に繰られている、というようにも考えることができる。しかし、この時代に、すでにライトが、そんな19世紀から20世紀的な考えかたをしたとは思えないが、現代の我々に通じるものがこの絵にあるとしたら、こういった科学と人間の関係においてであろう。

ライト・オヴ・ダービー 【 賢者の石を求める錬金術師 】 1771 | 127 x 101.6 cm | ダービー美術館、イングランド
ライト・オヴ・ダービー 【 賢者の石を求める錬金術師 】 1771 | 127 x 101.6 cm | ダービー美術館、イングランド
ライト以前に化学実験の現場を描いたものとして、錬金術師の仕事場を主題としたものがある。

錬金術師は、非金属を金に変えたり、不老不死をもたらす物質、「賢者の石」を生成しようと、日々、実験を繰り返していた。

16−17世紀になると、かなわぬ夢を求める錬金術師の愚かしさや、山師的な性質がクローズアップされるようになった。オランダ・フランドル絵画に多く登場していた。

1676年、燐が発見された。ダービーの絵の横には、詳細なタイトルが付けられいる。「賢者の石を求めている途中で燐を発見し、いにしえの占星術師たちにならって、実験が成功するよう祈祷する錬金術師」である。

燐が発見されると、燃焼の研究がすすみ、後に、ラヴォワジェが酸素の存在を解明するに至った。(ダヴィッドがラヴォワジェ夫妻の肖像を描いているが、その横には、実験装置である鐘形ガラス器が描かれている。)

ダービーの絵には、もう、山師的で、妄想にとりつかれたような錬金術師の姿はない。化学は、その合理性において、迷妄的な錬金術師を一掃してしまった。

聖人のような姿で、ガラス器から噴出す、青白い燐光を、畏怖の念を持って見ている錬金術師は、科学への信仰をも表しているように思える。

ライト・オヴ・ダービー 【 鍛冶屋の店先 】 1771 | 128.1 x 104.1 cm | エール英国美術センター、ニューヘブン
ライト・オヴ・ダービー 【 鍛冶屋の店先 】 1771 | 128.1 x 104.1 cm | エール英国美術センター、ニューヘブン
鍛冶場の場面は、ウルカヌスの仕事場として描かれたが、ここで新しいのは、熱く輝く鉄の塊が、光源として使われている。

右側にアーチがあって、天使の浮き彫りがある。もとは教会の建物だったと考えられている。

ライト・オヴ・ダービー 【 溶鉄炉 】 1772 | 121.9 x 132.1 cm | 個人蔵
上の『鍛冶場の店先』と違い、鉄を打っているのは、もはや人間ではなく、建物の外にある川の流れを利用した、撥ね槌である。

労働が、人間から、機械へと代わっている。

これこそ、産業革命を描いた、初期の作品である。

19世紀になると、工場群が描かれ、その弊害が描かれるようになるが、まだ、ここでは、機械が、人間の作業を大幅に軽減した様子、すなわち、機械文明への賛美が伺われる。

18世紀末になって、ブレイクが、盲目的な科学信仰を批判するが、ブレイクは、理解されずに、亡くなっている。

ライト・オヴ・ダービー 【 外から見た溶鉄炉】 1773 | 104.1 x 139.7 cm | エルミタージュ美術館
ライト・オヴ・ダービー 【 外から見た溶鉄炉】 1773 | 104.1 x 139.7 cm | エルミタージュ美術館

ライト・オヴ・ダービー 【 ランプに照らされたアカデミー 】 1768-69 | 127 x 101.2 cm | エール英国美術センター、ニューヘヴン
ライト・オヴ・ダービー 【 ランプに照らされたアカデミー 】 1768-69 | 127 x 101.2 cm | エール英国美術センター、ニューヘヴン

ライト・オヴ・ダービー 【 カステル・サンタンジェロの花火 】 1774-78 | 42.5 x 70.5 cm | バーミンガム市立美術館
ライト・オヴ・ダービー 【 カステル・サンタンジェロの花火 】 1774-78 | 42.5 x 70.5 cm | バーミンガム市立美術館
ライト・オヴ・ダービー 【 カステル・サンタンジェロの花火 】 1776 | 137.5 x 173 cm | ウォーカー美術館
ライト・オヴ・ダービー 【 カステル・サンタンジェロの花火 】 1776 | 137.5 x 173 cm | ウォーカー美術館
ライト・オヴ・ダービー 【 カステル・サンタンジェロの花火 】 1778-79 | 161.9 x 213.3 cm | エルミタージュ美術館
ライト・オヴ・ダービー 【 カステル・サンタンジェロの花火 】 1778-79 | 161.9 x 213.3 cm | エルミタージュ美術館
イタリアでの旅行では、ローマ市内で毎年打ち上げられる回転花火を見た。ナポリでは、偶然、ヴェスヴィオ火山の噴火を目撃する。

ダービーが、野外でのキャンドルライト画、というものに取り組み始めたのも、だいたいこの時期である。。

この作品を描いた同年の手紙で、「ひとつは自然が作り出しうるもっとも壮大な効果で、もうひとつは人工のそれだ。」と書いている。

ライト・オヴ・ダービー 【 噴火するヴェスヴィオ火山 】 1776-1780 | 122 x 176.4 cm | テイト・ブリテン、ロンドン
ライト・オヴ・ダービー 【 噴火するヴェスヴィオ火山 】 1776-1780 | 122 x 176.4 cm | テイト・ブリテン、ロンドン

ライト・オヴ・ダービー 【 ローマから追放されたユリアのいるサレルノ湾の洞窟 】 1780 | 114.3 x 175.3 cm | ダービー美術館
ユリアとは、紀元前9年にトリメルス島に流されたアグリッパの娘のこととする説と、娘と同名の母親で、アウグストゥス帝の娘を指すという説とがある。

ダービーのロマン主義的な気質の表れた作品。

ライト・オヴ・ダービー 【 亡夫の武具の番をするインディアンの族長の寡婦 】 1785 | 102 x 127 cm | ダービー美術館
ライト・オヴ・ダービー 【 亡夫の武具の番をするインディアンの族長の寡婦 】 1785 | 102 x 127 cm | ダービー美術館
ダービーは文学を主題にした作品も数多く手がけている。

この作品は文学ではないが、ジェイムズ・アデアーの『インディアンの歴史』(1775年)をもとにして、描いたものである。

インディアンの妻は、夫が戦いで死ぬと、その後一月間、夫の武具を吊るした木の下で過ごすのが、喪に服する、ということになる。

作品は、新古典主義の様式で、理想化されている。しかし、劇的な雰囲気は、後のロマン主義を予告してもいる。

ライト・オヴ・ダービー 【 虹のある風景 】 1794-1795 | 81.2 x 106.7 cm | ダービー美術館
ライト・オヴ・ダービー 【 虹のある風景 】 1794-1795 | 81.2 x 106.7 cm | ダービー美術館

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