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ジェームス・アンソール | |
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(1860-1949) | |
ベルギー 表現主義 | |
仮面の画家として有名。 父親はイギリス人。ジェームスはオステンドで生まれた。 オステンドは観光地で、夏は海水浴客でにぎわう。両親は土産物や骨董品を売る小さな店を経営していた。 両親の店の屋根裏部屋にはカーニヴァルの仮面や骨董品が積まれていた。この屋根裏部屋は幼いアンソールにとって夢や恐怖心をかき立てられ、彼の特異な芸術はこの屋根裏部屋から来ている。 父親は息子の才能に理解があり、13歳から絵を習わせた。 1877年、美術アカデミーに入学。級友にフェルナン・クノップフがいた。 この頃から1880年代半ばくらいまで、アンソールの絵は「暗い絵の時代」と呼ばれている。 在学中、エルネスト・ルッソー教授のサークルに入る。この教授は無神論とアナキズムで有名で、ルッソー家のサロンには世紀末デカダンスの画家フェリシアン・ロップスもよく姿を見せた。 アンソールは1881年から展覧会に作品を出品するようになる。 しかしアンソールの絵は、見る者に不快と恐怖の念しか呼び起こさないと言われ、度々出品を拒否された。 1884年に、反アカデミズムの前衛的グループ二十人会のメンバーとなる。しかし相変わらず、出品拒否にあうことが多かった。 二十人会が積極的に紹介したのは、フランスの印象派であった。 アンソールは1887年くらいから、いままでの暗い色調を一転させ、原色を使うようになった。「明るい絵の時代」と呼ばれる。 仮面は1879年くらいから既に使用しているが、次第に非現実性を強めていく。画面はけばけばしく、グロテスクになっていった。 20世紀に入ってから、勲章を受けたり、男爵に叙せられる。しかしそれと同時に作品は衰え始めた。 アンソールは家庭内の不遇や、社会の不平等への義憤など、精神的に抑圧されなくては絵が描けないのかもしれない。 アンソールの大胆な原色の使い方は、後にくるフォーヴィズムを先取りし、デフォルメされた人物や仮面、骸骨などはシュルレアリスムの幻想を先取りしている。 アンソールの象徴主義は神秘ではなく、人間の愚劣、偽善、卑怯、虚栄などをグロテスクな画面で弾劾する。ボッシュやブリューゲルのような感じである。 ベルギーのオステンデに記念館がある。 |
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アトリエのガイコツ画家 1896 37.5 x 45.5 cm アントワープ王立美術館 | |
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