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ニコラ・プッサン
( 1594-1665)                   ポスターはこちら
フランス   古典主義 、バロック

フランス古典主義の代表的画家。

パリでフォンテーヌブロー派を学ぶ。登場人物に演劇的な心理主義を応用し、独特の世界を完成させる。

パリの保守派の交渉を嫌悪し、42年以降、ローマに住む。

晩年は、哲学的世界、幻想性の強い寓意的風景画を描いた。

セザンヌ、ピカソなどの手本となった。

リシュリューとマザランの時代。フランスは古典主義を育てていった。しかし、その代表であるプッサンとクロード・ロランは、バロックの中心地ローマにおいて、古典主義を完成させたのである。

プッサンはノルマンディー地方のレ・ザンドレー出身である。少年時代のことは、ほとんど分かっていない。

1622年、イエズス会が、その創設者イグナティウス・デ・ロヨラとフランシスコ・ザビエルを聖別した記念に、6点の連作を描いた。

リュクサンブール宮殿ではフィリップ・ド・シャンパーニュとともに仕事をしている。

そうしたおり、イタリアの詩人マリーノの知遇を得て、オヴィディウスの『変身物語』の挿絵を描いた。

詩人マリーノの勧めで、イタリアへ渡ったのは1624年、30歳のときである。

プッサンの気性は激しかった。当時ローマは芸術の中心地である。多くの若い芸術家が集まっていた。プッサンは人と争うこともしばしばあった。

1630年以降はバロック的な作風を克服していく道程である。

1640−42年、一度、ルイ13世の招きで、フランスに戻っている。

しかし、地位を脅かされると思ったヴーエたちから、反発を受けたりで折り合いが悪く、再びローマへ戻り、以後、死ぬまでローマで過ごした。

首席宮廷画家と年金の栄誉を捨てたのである。

プッサンは、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画論を研究し、主題の登場人物の情念を表すための研究をした。蝋で小さな人形を作り、いろいろなポーズの研究をした。

自分の激しい気性を抑え、内面世界を追求していった。

プッサンの作品が知的なのは、こういった厳しさの表れである。

プッサン ≪ アモリス人との戦いに勝利するヨシュア ≫ 1624-25 | 97.5x134 cm |エルミタージュ美術館
プッサン ≪ アモリス人との戦いに勝利するヨシュア ≫ 1624-25 | 97.5x134 cm |エルミタージュ美術館

 プッサン ≪ アポロとダフネ ≫ 1625 | 97 x 131 cm  |アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン
 プッサン ≪ アポロとダフネ ≫ 1625 | 97 x 131 cm  |アルテ・ピナコテーク、ミュンヘン  主題解説へ

ゲルマニクスの死   1627    148 x 198 cm   ミネアポリス美術館、ミネソタ州、アメリカ
 
 タキトゥス『年代記』より


ローマの将軍ゲルマニクスは人気があり、人々から愛されていた。皇帝ティベリウスはその人気を妬み、ゲルマニクスに毒を盛る。

死に瀕しているゲルマニクスと、その右側で泣いている女性は妻アグリッピーナ。
左側は、ゲルマニクスに忠誠を誓った将校や兵士たち。仇を討つことを誓っている。

プッサンが描きたかったのは、死につつある人への救済には大きな価値があること。それは友人らの忠実や愛であること。

プッサン ≪ キリストの哀悼 ≫ 1627 | 102,7 x 146,1 cm |アルテピナコテーク、ミュンヘン
プッサン ≪ キリストの哀悼 ≫ 1627 | 102,7 x 146,1 cm |アルテピナコテーク、ミュンヘン

我もまたアルカディアにありき   1627  チャッツワースハウス、ピーク・ディストリクト国立公園、ダービーシャー、イギリス
   

聖カエキリア(聖セシリア)   1627-28  118 x 88 cm   プラド美術館、マドリード、スペイン
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サテュロスに負われるニンフ
1627  Oil on canvas, 96 x 75 cm  カッセル絵画館
聖エラスムスの殉教  1628  320 x 186 cm   バチカン美術館
 

アンドロス島の大酒宴   1628-30  121 x 175 cm  ルーヴル美術館
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エコーとナルキッソス  1628  74 x 100cm  ルーヴル美術館
 
オヴィディウスのナルキッソスの物語(メタモルフォーセース)は、16世紀、17世紀に好んで描かれた主題である。オヴィディウスはナルキッソスの物語に、ニンフのエコーの伝説を絡めた。

ナルキッソスの物語にエコーを加えて描いたのは、プッサンが最初だと考えられている。


リナルドとアルミーダ    1629    ダルウィッチ・ピクチャー・ギャラリー、ダリッジ、イングランド

プッサン ≪ ミダス王とバッカス ≫ 1629-30 | 98 x 130 cm |アルテピナコテーク、ミュンヘン
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アンドトの疫病  1630   148-198cm   ルーヴル美術館
サムエル前書より

エホバの契約のは櫃(はこ)をペリシテ人がイスラエル人から奪った。その奪った櫃を、ペリシテ人の神ダゴンの寺院に置いた。翌朝、ダゴンの像が倒れていた。元通りにしたのだが、翌朝、今度は砕けて落ちていた。民衆だけでなく、僧侶までも恐れて、神殿に足を入れることをためらった。

時を同じくして、この町はすべての市民が腫物に苦しめられていた。

物語のすべての要素をプッサンは描き込んだ。左側中央には、契約の櫃がある。その櫃の左側にダゴン像が倒れている。寺院に入ることを恐れている群衆の姿。

疫病の情景は、左側前方に美しい着衣の青年は、一匹のネズミに恐れを抱いている。聖書の説明にネズミは黒死病(ペスト)を運ぶものとされている。

中央には、死んだ女性とその子供たちの悲惨な姿がある。彼女たちの上にかがみ込もうとする男は鼻を抑えている。

詩人の霊感  1630   182,5 x 213 cm  ルーブル美術館
 

プッサン ≪ バッカス ≫ 1630-31 | 74 cm x 60 cm |プラド美術館 マドリード
プッサン ≪ バッカス ≫ 1630-31 | 74 cm x 60 cm |プラド美術館 マドリード

バッコスの哺育
1630-35  Oil on canvas, 97 x 136 cm  Musee du Louvre, Paris

フローラの王国
1631  Oil on canvas, 131 x 182 cm  ドレスデン絵画館

フローラの勝利     1631  165 x 241 cm  ルーヴル美術館
 

ケファロスとアウロラ
1631-33  Oil on canvas  National Gallery, London

黄金の仔牛の礼拝   1633-36  154 x 214 cm    ロンドン・ナショナル・ギャラリー
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海神ネプチューンと海の女王アンピトリテの勝利  1634  114,5 x 146,6 cm   フィラデルフィア美術館
 

サビニの女たちの略奪   1634-35  154.6 x 209.9 cm  メトロポリタン美術館、ニューヨーク
 

牧神パンの勝利    1636   134 x 145 cm   ロンドン・ナショナル・ギャラリー
 

エルサレムの寺院の破壊  1637   147 x 198,5 cm   ウィーン美術史美術館 
 

プッサン ≪ 聖ヒエロニムスのいる風景 ≫ 1637 | 155 cm x 234 cm |プラド美術館 マドリード
プッサン ≪ 聖ヒエロニムスのいる風景 ≫ 1637 | 155 cm x 234 cm |プラド美術館 マドリード

パンとシュリンクス    1637-38     106 x 82 cm  ドレスデン絵画館
 
 

人生の踊り  1638    82,5 x 104 cm  ザ・ウォーレス・コレクション、ロンドン
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アルカディアの牧人たち  128-40  85 x 121cm   ルーヴル美術館
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階段上のマドンナ(聖家族)  1648  68.7 x 97.8 cm    ワシントン・ナショナル・ギャラリー
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