ニコラ・プッサン
( 1594-1665)
フランス   古典主義 、バロック

アルカディアの牧人たち
pou03.jpg (60036 バイト) 1638-40

ルーブル美術館
「メメント・モリ(死を記憶せよ)」という格言がヨーロッパにある。

人間は「時間」の脅威には打ち勝てない。古代の人々は、人間の死は、かりの姿で、その霊魂は不滅で、永遠である、という信仰によって、死の恐怖に打ち勝ってきた。

その後、信仰は衰え、哲学が生まれた。

信仰や神ではなく、自分の意志で、死というものを直視し、受け入れる。運命をそのまま、強い意志を持って、受け入れる。

「メメント・モリ(死を記憶せよ)」という格言は、このように、道徳哲学に基づく言葉なのである。

キリスト教の中世では、神による審判の後に、天国で永遠の幸福を得る、という信仰があったので、メメント・モリの格言はあまり重要ではなかった。とりわけ、磔刑のキリスト像、殉教者の像は、正しく死ぬという勇気を人々に与えた。

しかし、14世紀、人口が六分の一に減ってしまうほどのペストの大流行は、ヨーロッパの人々を死の恐怖に陥れた。そこから、死に関する絵画表現が増えていく。そのころは、生の破壊者として、死というものがとらえられた。

頭蓋骨の復活は、17世紀、静物画であった。それは「死」の象徴である。しかし、もはや、生の破壊者としての死ではなく、強い意志を持って運命を受け入れるという哲学的な意味においてである。

プッサンの絵を見てみよう。

中央に墓石がある。そこには「われアルカディアにもあり」という意味の銘文が刻まれている。墓の主の名前はない。

アルカディアとはギリシャのペロポネソス半島にある高原地帯である。牧神パンの領地である。1504年、イタリアの詩人サンナザーロが田園牧歌詩『アルカディア』を書いた。それから、アルカディアは失われた過去の黄金時代への郷愁、というイメージを持ち、理想化された。

プッサンがこの絵を描いたのは50歳ちかくになったときである。この絵を描く約10年ほど前に、同じ主題の絵を描いている。The Shepherds of Arcadia で題名も同じである。

こちらの絵には、墓の上に、骸骨を描き入れている。二人の羊飼いと少女、そして、画面前方に描かれている半裸で背を見せている男は、アルカディアを流れる川アルフェイオスの神である。

しかし、この若かりしころの絵には、死に直面した荘厳な雰囲気はない。珍しいものを発見した三人の若者、という感じである。

第二の作品はプッサンの精神の成長を、表している。墓は正面に置かれ、頭蓋骨はもはやない。発見ではなく、瞑想的なのである。プッサンがたどり着いた精神である。

そして、時代が穏やかであったことも関係しているだろう。対抗宗教改革や戦争、論争が終わり、とりわけ、フランスはルイ14世の時代で、均衡と道徳、権威が重んじられるようになっていたのである。

運命を受け入れる強い意志が、この絵には描かれている。

頭蓋骨が消えたことで、「われアルカディアにあり」と言っているのは「死」ではなく、墓の主なのである。

「われもまたアルカディアにありき」が正確な解釈であろう。墓の主もまた、充実した生を謳歌し、静かに、強く死をむかえた、ということである。

右手前にいる気高い女性は、他の三人とは、別の次元の人物のようである。赤い衣装の若者が、問いかけるように彼女を見ている。しかし、彼女は、どこも見ていない。静かである。

「あななたちも同じ運命なのよ」

と言って、人間の運命を見つめているようにも見える。しかし、彼女には強さがある。彼女は、人間は運命を受け入れられる強さを持つのだ、という意味の寓意像なのではないだろうか。

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