ショッピング 西洋絵画史 女流画家 ギリシャ神話 聖書の物語 文学 画像使用と著作権 リンク集
画家名・アーティスト名一覧  Artist INDEX
     |      |      |  ちつ   | なにぬねの
     |      | やゆよ |      |  
西洋美術史年表       絵画史別 画家インディックスはこちら


新古典主義 (18世紀後半)
フランス
新古典主義は18世紀後半にフランスから出てくる本来的な形になるまでは、一貫性がなかった。新古典主義が画家の中に、明らかに主義として、確立してくるのは18世紀中頃である。
イタリアのローマは、新古典主義者の思想の源泉となった。

1738年に始まったヘルクラネウムの発掘、1748年に始まったポンペイ発掘は、18世紀の古代趣味をもたらした。

その200年前、ルネサンス期の古代趣味との違いは、資料の量である。数多くの研究書、旅行記、版画集が発売された。旅行も、ルネサンス期よりは、格段に容易になっていた。

新古典主義絵画の基礎となったのは、ドイツの美術史家ヴィンケルマンの著書『ギリシャ芸術模倣論』と『古代美術史』であった。

理想的な美、完全な美、普遍的な美を求めるためには、古代人を模倣することが、唯一の道である、と説いた。

ロココ趣味とは、完全に対立する、厳しい様式が新古典主義である。モットーは「高貴な単純さと静謐な偉大さ」で、ヴィンケルマンが、ギリシャ芸術の特質と考えたものである。

新古典様式を確立したのは、ダヴィッドである。



政治的には、18世紀末から19世紀にかけて、フランスは1789年に始まったフランス革命、イギリスから始まった産業革命と、混乱を極めた時代である。

ナポレオンの第一帝政(1804−1814)、王制復古(1814−1830)、七月革命で生まれたルイ・フィリップの立憲君主制(七月王制ともいう)(1830−1848)、二月革命の結果の第二共和制(1848−1852)。

ざっと挙げても、究極な混乱、崩壊が続いた時代であった。

一方、産業革命によって、ブルジョワジー(中産市民階級)が力を持ってきた時代でもある。

ブルジョワジーは、それまでの教会や宮廷に代わって、絵画の買い手として、経済の担い手として、無視できない存在となる。

いかに、歴史画の格が高くても、一般の人々に受け入れられないと、画家は経済的に困窮してしまうようになった。肖像画、風景画、静物画の数が、急激に多くなったのも、この時期である。

大衆社会が確立しつつあったのである。

美術の世界は、ロマン派と新古典派が論争していた時代でもある。


アカデミーは革命政府によって、特権的だとされ、1792年、いったん、廃止される。三年後、翰林院(かんりんいん)の一部として復活した。ダヴィッドがこの改革に活躍した。

王制復古時には、美術アカデミーとして、復活した。ルイ18世が、旧体制への復帰を目指したからである。この時代にすでに、新しい芸術運動としてロマン主義が登場している。

以後、美術アカデミーは、19世紀においては、それほど大きいものではなくなった。1830年代ころから、否定的な意味での「アカデミスム」という用語が用いられるようになった。

ジャン・レストゥー(2世) (1692-1768)
クロード=ジョセフ・ヴェルネ  (1714-1789)
ジャン=バティスト=マリー・ピエール 
ジョゼフ=マリー・ヴィアン   (1716-1809)
ガブリエル・ジャック・ド・サントーバン  (1724-1780)
ルイ=ジャン=フランソワ・ラルグネ (1725-1805)
ユベール・ロベール  (1733-1808)
ニコラ・ベルナール・レピシエ  (1735-1784)
ルイ・ガブリエル・モロー(老モロー)  (1740-1806)
フランソワ=アンドレ・ヴァンサン  (1746-1816)
ジョセフ=ブノワ・シュヴァ (1747-1807)
ジャック・ルイ・ダヴィッド  (1748-1825)
ピエール=アンリ・ド・ヴァラシエンヌ  (1750-1819)
ピエール・ポール・プリュードン (1758-1823)
ジャン=ジェルマン・ドルーエ (1763-1788)
ジロデ=トリオソン (1767-1824)
フランソワ・ジェラール (1770-1837)
ジャン・アントワーヌ・グロ  (1771-1835)
ジャン-オーギュスト-ドミニク・アングル (1780-1867)

新古典主義へ戻る