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アルバート・ジョーゼフ・ムーア | ||||
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( 1841-1893) | ||||
イギリス ラファエル前派 ヴィクトリア朝の画家 | ||||
北イングランドのヨークに生まれたアルバート・ムーアは、無頓着な男であった。 1858年にロイヤル・アカデミーに入学し、そこで知り合った仲間とスケッチのクラブを作った。その仲間にはシメオン・ソロモンなどがいた。 数が月でアカデミーを退学してしまい、スケッチの旅に出て、自然描写の基礎を身につけた。 挿絵や建築物の天井、壁の装飾的な仕事、教会の壁画、壁紙・ステンドグラス、タイルなどのデザインも手掛けている。 そいうしながらも油絵を描き、アカデミーへ出品していた。 画風はしかし、象徴などを使用して、主題を深く描くのではなく、「雰囲気の美」という傾向が強く、アカデミズムとは少々違っていた。 無頓着で、正直な性格なので口が悪く、あまり人からは好かれなかった。 しかし、一旦友人になると、大変に好かれたそうである。 ホイッスラーも友人の一人で、有名なホイッスラー・ラスキンの裁判で、ムーアはホイッスラーの証人に立つほどの仲であった。 ジャポニズムの影響もホイッスラーから受けた。扇や小枝の使い方が東洋的なのはこの影響である。 。 52歳で生涯を閉じた。 |
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アルバート・ムア 【 休憩中の踊り子 】 1863-64 | 57.1 x 40.6 cm |個人蔵 | ||||
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アルバート・ムア 【 ミュージシャン】 1865-66 | 26 x 30.7 cm |イェール大学英国美術研究センター、ハートフォード、コネチカット州、アメリカ | ||||
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アルバート・ムア 【 ザクロ 】 1865-66 | 25.4 x 35.5 cm |ギルドホール・アート・ギャラリー、ロンドン、イギリス | ||||
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アルバート・ムア 【 ユリの花 】 1866 | 29.8 x 47.6 cm |Sterling and Francine Clark Art Institute、マサチューセッツ、アメリカ | ||||
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アルバート・ムア 【 アプリコット 】 1866 | 42.5 x 28.5 cm |フラム市立図書館、ロンドン、イギリス | ||||
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アルバート・ムア 【 アザレア 】 1867-68 | 197.9 x 100.2 cm |ヒュー・レーン・ダブリン市立美術館、ダブリン、アイルランド | ||||
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アルバート・ムア 【 羽根つき 】 1868-70 | 106.6 x 44. cm |個人蔵 | ||||
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アルバート・ムア 【 羽根つき 】 1870 | 107.3 x 45.3 cm |ミネアポリス美術館、ミネソタ州、アメリカ合衆国 | ||||
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アルバート・ムア 【 庭 】 1869 | 174.4 x 87.8 cm |テイト美術館 テート・ブリテン、ロンドン、イギリス | ||||
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アルバート・ムア 【 かもめ 】 1870-71 | 154.8 x 68.5 cm |ウィリアムソン・アート・ギャラリー、バーケンヘッド、イギリス | ||||
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アルバート・ムア 【 貝殻 】 1874 | 156 x 68.5 cm |ウォーカー・アート・ギャラリー、リヴァプール、イギリス | ||||
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パンジー | ||||
アルバート・ムア 【 パンジー 】 1874 | 26 x 19.7 cm |個人蔵 | ||||
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アルバート・ムア 【 ビーズ 】 1875 | 28.9 x 50.1 cm |スコットランド国立美術館、イギリス | ||||
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アルバート・ムア 【 眠る少女 】 1875 |テイト美術館 テート・ブリテン、ロンドン、イギリス | ||||
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物語の最後 | ||||
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