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ミケランジェロ・ブオナローティ   1
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1475-1564)
イタリア  盛期ルネサンス  彫刻家、画家、建築家

ルネサンスの巨人。
アレッツォ近郊、カプレーゼに生まれる。
幼年期、セッティニヤーノの石切り職人に預けられた。

1488年、ドメニコ・ギルランダイオの工房に入る。
1489年、ミケランジェロはメディチ家のロレンツォを出会う。
ミケランジェロはポリツィアーノ(メディチ家の家庭教師)から古代ギリシャ哲学やダンテなどを学んだ。

1490年、サヴォナローラがフィレンツェで説教を始めた。

1494年、フランスがフィレンツェを攻囲したので、ミケランジェロはヴェネツィア、ボローニャへ行く。
ボローニャではサン・ドメニコ聖堂の墓碑彫刻を制作した。

1496年、ローマへ行く。サン・ピエトロ大聖堂の『ピエタ』を制作。
1501年、フィレンツェに戻り、『ダヴィデ』の巨大な大理石像を制作。

1503年、教皇ユリウス2世が即位。 
1505年、ミケランジェロはユリウス2世に招かれてローマへ行った。そこでユリウス2世の墓碑の制作を依頼された。

1508年、ユリウス2世と喧嘩していたミケランジェロは一時ローマを離れていたが、再び呼び戻される。
システィーナ礼拝堂の天井画の制作をするためだった。
1512年、システィーナ礼拝堂の天井画が完成した。

1513年、メディチ家のレオ十世が新教皇に選出された。
1519年、ミケランジェロはフィレンツェで、メディチ家の菩提寺サン・ロレンツォ聖堂のファサードを設計、メディチ家の墓碑の制作を依頼される。



フィレンツェの貧しい貴族の家に生まれたミケランジェロは、反骨精神が旺盛であった。

権力に抵抗する気質を持っていたミケランジェロは、自分の天才を呪ったかもしれない。
それは、教皇ユリウス2世に対してである。

嫌がるミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の巨大なフレスコ画を制作させられるのは、この暴君のような教皇しかいない。


システィナ礼拝堂 天井画 」 は以下のページに分かれています。
創世記の物語  預言者  巫女   メダイヨン  スパンドレル  リュネット   最後の審判

階段の聖母
1490-92  大理石, 55,5 x 40 cm フィレンツェ、ブオナローティ美術館
ミケランジェロ 「階段の聖母」

バッカス
1497  Marble, height: 203 cm  Museo Nazionale del Bargello, Florence
ミケランジェロ バッコス

ピエタ
1498-99  Basilica di San Pietro, Vatican
ミケランジェロ ピエタ  ミケランジェロ ピエタ 部分 ミケランジェロ ピエタ 部分

聖家族と幼児洗礼者ヨハネ(トント・ドーニ)   聖書の物語 「聖家族」 解説へ
1504〜06  Tempera on panel  直径 120 cm   フィレンツェ ウフィツィ美術館
ミケランジェロ 「聖家族と幼児洗礼者ヨハネ(トント・ドーニ)」 『聖家族』の主題は、そんなに古くはない。経済が豊かになり、家庭で、父親の存在が強くなる時期からである。

ルネサンスの15世紀、フィレンツェで、市民階級が家父長制を強めていった。家族意識が強まった、そんな時期に、現れたのが、『聖家族』の礼拝像である。

それまで、イエスの養父ヨセフの存在は、非常に弱かった。『イエス降誕』を見ても、ヨセフはいつも、隅っこで、頼りなげある。あるいは、キリストに手を合わせている姿で描かれた。

たとえば、ジョットの描いたヨセフは、イエスが生まれても、自分とは関係ない、という感じでやる気がなさそうである。

ジョパンニ・デ・パオロ もしかりである。

ピエロ・デッラ・フランチェスカでは、ヨセフは全くそっぽを向いている。

フラ・アンジェリコの描いたヨセフは、イエスに手を合わせている。通常の家族の絵、という扱いではない。


ミケランジェロが描いたヨセフは、強い父親である。ピラミッドの頂点で、威厳を持ち、知性ある顔立ちである。

この円形画には、時間の流れが描き込まれている。

背景に、五人の裸体の青年たちがいる。まだ、律法も何も無い、異教の時代である。

中間が落ち窪んでいる。その溝から顔を出しているのは、洗礼者ヨハネである。

この中間地帯は、旧約の時代を表している。

そして、前面に聖家族がいる。キリストの誕生によって、救済の時代が始まるのである。

ヨセフは、旧約と新約の時代をつなぐ、重要人物である。

旧約聖書では、キリストはアブラハムの家系であるヨセフから生まれなければならないと、預言されているのである。

額縁には、上にキリストが彫られ、その他、二人の旧約の預言者、二人の巫女が彫られている。

このことによっても、歴史観が現れている。

マリアが裸足で大地に座っているのは、地上の女であることを表している。ドメニコ会では、マリアは受胎のときのみ純血であった、という考え方であった。(ちなみに、フランシスコ会では、マリアは人類の中でただ一人の純潔の存在であるとしている。無原罪説を採用している)

この絵で、マリアの不自然な身のおき方は、イエスが天から、地上の女に降りてくる、ということを表している。

ミケランジェロは、中世から貴族である家柄に生まれた。それを誇らしく思ってもいた。家父長的で、家門に固執する父親の下で育てられた。そういった影響が、この絵に表れている。

この点においては、母性への固執を持つ、レオナルド・ダ・ビンチと、対照的である。

この絵の、細かい部分はまだ学説が分かれている。謎が多いのである。特に、背景の五人については異教世界説、翼の無い天使説、キリスト教のために闘う戦士説などなど多々ある。
参考文献: 『絵画を読む』 若桑みどり著 日本放送出版協会

ダヴィデ    聖書の物語「ダヴィデとゴリアテ」へ行く
1504  高さ434cm   アカデミーア、フィレンツェ
ミケランジェロ ダヴィデ イスラエルの最初の王。ダビデはユダヤ人の家系、羊飼いであった。預言者サムエルは、主に選ばれし者の印にダビデに香油を塗った。

その時の王はサウルであったが、主の恵みを断たれ、心が乱れ、悪霊に苦しめられていた。

王サウルの心を慰めるために竪琴の名手ダビデが雇われた。

そのころイスラエルとペリシテの間で戦いが始まった。ペリシテ軍にはゴリアテという巨人がいた。

ダビデはサウル王にゴリアテと戦わせて欲しいと願い出た。

ダビデは投石袋から小石を取り出し、石投げ紐で石を飛ばした。小石は巨人ゴリアテの額にのめりこみ、ゴリアテは倒れた。
ミケランジェロ ダビデ 部分 瞳がハート型なのが分かりますか?

カッシーナの戦いのための素描
1504  Pen and ink over black chalk, 408 x 284 mm   Casa Buonarroti, Florence
ミケランジェロ カッシーナの戦いのための素描

ヴィットリア・コロンナの肖像
1535-47  35.7x25cm   フィレンツェ、ウフィツィ美術館
  60歳を超えたミケランジェロと深い友情があった。
ミケランジェロ ヴェットリア・コロンナの肖像

ロンダニーニのピエタ
1552〜64、  高さ195cm  Castello Sforzesco, Milan
ミケランジェロ ロンダニーニのピエタ

ピエタ
1550〜53年頃  高さ226cm  フィレンツェ大聖堂
後ろに立っているのはニコデモ。ミケランジェロ自身、と言われている。
ミケランジェロ  ピエタ

パレストリーナのピエタ
高さ 253cm  フィレンツェ、アカデミア美術館   (作者に関しては論議がある)
ミケランジェロ パレストリーナのピエタ

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