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フェルナン・クノップフ |
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(1858-1921) ベルギー 象徴主義 、 世紀末芸術 |
クノップフはバーン=ジョーンズと交友があり、英国びいきで、知的なダンディであった。 父親は控訴院判事。元ハイデルベルクの貴族の家柄。 グレムベルゲンに生まれるが、すぐにブルージュに移った。 ブルージュでフランドル絵画のファン・アイク、メムリンクなどに親しむ。 ブリュッセル大学で法律を勉強したが、途中で芸術に変更し、ブリュッセル美術アカデミーに学んだ。 この時の師がグザヴィエ・メレリであった。メレリは後に薔薇十字展に出品している。クノップフの象徴主義的傾向はメレリの影響が強い。 1877年から何度かパリへ行き、ドラクロワやギュスターヴ・モローの影響を受けた。 1878年パリ万国博覧会があり、そこではバーン=ジョーンズ、ジョン・エヴァレット・ミレイなどのラファエル前派に感銘を受けた。 1883年、「飛躍」展で画家デビュー。 1884年に創立された「二十人会」のメンパーとなる。 1892年、第一回薔薇十字展に参加。この時、ベラダンから賛美され、ベラダンの著作の装丁や挿絵を描いた。 「二十人会」解散後は、自由美学展にも参加。 クノップフの作品には妹マルグリットが数多く登場する。クノップフにとって妹は、もう一人の自分だという意見もある。様々なコスチュームを着せ、写真に撮り、それを作品に描いた。 |
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クノップフ 「シューマンを聴く女性 」 1883 83 x 83 cm ベルギー王立美術館 |
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クノップフ 「聖アントニウスの誘惑」1883 83 x 83 cm |
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クノップフ 「ジャンヌ・キーファー」1885 |
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クノップフ 「ヴェール」 1887 40 x 21 cm シカゴ美術研究所 |
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クノップフ 「ジョルジュ・ローデンバックとともに 死都 」 1889 ブリュッセル 個人蔵 |
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クノップフ 「 思い出 」 1889 127 x 200 cm ベルギー王立美術館 |
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クノップフ 「海岸にて 」 1890 |
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クノップフ 「 沈黙 」 1890 パステル 85 x 41.5 cm ブリュッセル王立美術館 |
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クノップフ 「私は私自身に対してドアを閉ざす 」 1891 72 x 140 cm ノイエピナコテーク ミュンヘン |
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クノップフ 「私を救い出す者は誰でも・・」 1891 |
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クノップフ 「森 、モミの木の下」1894 65.5 x 44 cm |
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クノップフ 「愛撫」 1896 50 x 150 cm ベルギー王立美術館 ブリュッセル |
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クノップフ 「眠れるメデューサ」1896 72 x 29 cm |
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クノップフ 「女性の頭部 」 1899 |
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クノップフ 「ミュージシャン」 1899 |
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クノップフ 「白、黒、あるいは... 」 1901 90 x 30 cm |
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クノップフ 「見捨てられた町」1904、76x69cm ブリュッセル王立美術館 |
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クノップフ 「 シルバー・ティアラ 」 1911、54 x 54.1cm ニューヨーク現代美術館 |
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クノップフ 「シガレット」 1912 |
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