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印象派
写実主義
フランスは革命以後、大激動を続ける。1814年にブルボン王朝が復活し、ルイ18世が王位につく。

その10年後、1824年シャルル10世は権力を行使し、出版統制、選挙資格制限を行い、議会を解散したので、その反動が強まり、即位して6年後1830年、民衆が再び蜂起する。

この7月革命において、再びブルボン王朝は倒された。

オルレアン公ルイ・フィリップが7月王政を始める。この時期、フランスの産業革命が進行し資本主義が進展する。7月王政は1848年の2月革命まで、18年間続く。

再び、強圧政治のため2月革命が起き、ルイ・ナポレオンの第二帝政が始まる。

彼はナポレオン3世となり、パリを近代的な都市に整えて行った。

1855年と67年、パリで開かれた万国博覧会は、フランス産業の繁栄の象徴であった。

その後、ドイツのビスマルクがドイツ統一を目指し、ナポレオン3世を挑発。

1870年にプロイセン・フランス戦争で敗れ、ドイツ軍がパリへ入城。この戦争での講和条約があまりにもフランスに不利だったので、1871年、市民自治のパリコミューン誕生となる。しかし、3月に誕生したパリコミューンは2ヶ月後の5月に市街戦となり、粉砕される。

その後フランスは、1875年に共和国憲法を発布し、市民社会を実現させて行く。


ロマン主義でもなく、写実主義でもない。コローは19世紀初頭、この二つの主義が、相反する必要はないとした。彼はこの二つの主義を叙情的な風景画で融合させた。コローの絵は新興市民階級に受け入れられた。

オノレ・ドーミエはコローから学んだ。大胆な政治風刺やパリ庶民の生活を描写した。

バルビゾン派の田舎の景色や働く農民の姿は、産業革命真っ只中のパリに、田舎から働きに来ていた者たちの心をいやした。

写実主義はクールベへと行き着く。写実主義は、社会を批判するものと、市民社会に受け入れられるものとがある。

コロー ( 1796-1875)
ドーミエ (1808-1879)
ミレー  (1814-1875)
ギュスターヴ・クールベ  ( 1819-98)
ファンタン=ラトゥール  ( 1836-1904)

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