ショッピング | 西洋絵画史 | 女流画家 | ギリシャ神話 | 聖書の物語 | 文学 | 画像使用と著作権 | リンク集 |
画家名・アーティスト名一覧 Artist INDEX |
あ い う え お | か き く け こ | さ し す せ そ | た ちつ て と | なにぬねの |
は ひ ふ へ ほ | ま み む め も | やゆよ | ら り る れ ろ | わ |
西洋美術史年表 絵画史別 画家インディックスはこちら |
フェルデナント・ホドラー | |
(1853-1918) スイス 象徴主義、世紀末芸術 | |
スイスのベルンに、貧しい大工の家に生まれた。7歳で父を亡くし、13歳で母を亡くした。彼以外の5人の兄弟姉妹もみんな結核で早死している。 幼くして両親を相次いで亡くし、15歳のときに観光客用に風景画を描くゾマーのもとに徒弟奉公に出された。 4年後、19歳のときに無一文でジュネーヴに出る。パルテルミー・メンに見出され、そこで学ぶことができた。 1891年に「夜」を発表するまで、食べるために働かなくてはならなかった。 「夜」は、ジュネーヴ市当局によって、「涼風美俗を錯乱する」として公開を禁止された。 その後、パリで発表された。パリでは熱烈な歓迎を受けた。 1900年、パリの万国博覧展で金賞を受ける。 1901年には、パリで薔薇十字会や象徴主義と接触。エジプトなどの芸術からも刺激を受けた。 1904年、クリムトがリーダーであるウィーン分離派の中心的な存在となる。 1905年には、ベルリンの分離派展で、クリムトと並んで、特別室が設けられた。 写実からアール・ヌーボー的になり、死や夜をテーマにした世紀末的な象徴主義のスタイルを確立していく。20世紀ドイツの表現主義に大きな影響を与える。 |
|
|
|
宿 | |
1879 38 x 46 cm バーゼル美術館 | |
|
|
夜 | |
1890 116 x 300 cm ベルン美術館 | |
|
|
生に疲れる人々 | |
1892 149,7 x 294,0 cm ノイエピナコテーク ミュンヘン | |
|
|
選ばれし者 | |
1893-94 219 x 296 cm ベルン美術館 | |
|
|
ホドラー 「バーサ・ジェイクスの肖像」 1894 | 33.5 x 28 cm | |
|
|
ホドラー 「シェブルのジュネーヴ湖の夕方」 1895 | 100.5 x 130 cm | |
|
|
ホドラー 「走る女たち」 1895 | |
|
|
ホドラー 「斧やり兵」 1895 | 331.5 x 125.7 cm |ダラス美術館、テキサス、アメリカ | |
|
|
ホドラー 「死んだ兵士」 1897| 66 x 201 cm | |
|
|
ホドラー 「夢」 1897| 65 x 95 cm |チューリッヒ美術館 | |
|
|
ホドラー 「The Gantrisch」 1898 | 38 x 47 cm | |
|
|
ホドラー 「シェブルのジュネーヴ湖」 1898 | |
|
|
ホドラー 「エモーション」 1900 |70 x 115 cm |オーストリア美術館、ウィーン | |
|
|
ホドラー 「自画像」 1900 | |
|
|
ホドラー 「昼」 1900 |160 x 340 cm |ベルン美術館、スイス | |
|
|
ホドラー 「センセイション」 1901 |39 x 27 cm | |
|
|
ホドラー 「春」 1901 |102.5 x 129.5 cm | |
|
|
エモーション | |
1901-02 スイス | |
|
|
ホドラー 「山と小川」 1902 |100 x 72 cm |ゾロトゥルン美術館、スイス | |
|
|
ホドラー 「イーゼンフル」 1902 |75 x 56 cm | |
|
|
ホドラー 「選ばれし者(第2ヴァージョン)」 1903 |219 x 296 cm | | |
|
|
ホドラー 「ライヒェンバッハの森 」 1903 | |
|
|
ニーゼン山 | |
1910 83 x 105.5 cm | |
|
|
後期印象派へ戻る | |
|
|