アルブレヒト・デューラー |
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(1471-1528) |
ドイツ ドイツ・ルネサンス |
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ドイツ絵画史上の最高峰。 |
金工細工師の息子として生まれ、小さな時から、金属細工師として訓練を受けた。彼の几帳面で、繊細な版画は、ここから学ばれた。 |
他のアーティストと比べると、デューラーに関する資料は多い。たとえば手紙である。旅をしたときに友人にあてた手紙がある。故郷より外国のほうが得るものが大きい、と書いている。 |
イタリア・ルネサンスのヴェネチア派、ベリーニが老年のときに、デューラーは会っている。この出会いは、デューラーに多大な影響を与えた。北方画家の中ではただ一人、完全に、イタリアの洗練された科学理論と芸術の関係を吸収し、1528年に、「人体比例に関する四書」を書いた。
「わたしは形態と美の完璧さはすべての人間の総和のなかに含まれると考える」 |
デューラー 『人体比例に関する四書』 より (訳 "Story of Painting"
より) |
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The Wire-drawing Mill |
1489 watercolor & gouache on paper Kupferstichkabinett, Berlin |
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22歳の自画像 |
1493 Oil on linen, transferred from vellum 57 x 45 cm ルーヴル美術館 パリ |
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悲しみのキリスト |
1493 Oil on panel 30 x 19 cm カールスルーヘ州立美術館 |
真偽に諸説あり |
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荒野の聖ヒエロニムス |
1494 Oil on panel 23 x 17 cm フィッツウィリアム美術館 ケンブリッジ イギリス |
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ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公 |
1496 76 x 57 cm ベルリン国立絵画館 |
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ドレスデン祭壇画 |
1496 114 x 45 cm ドレスデン国立絵画館 |
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幼児キリストを礼拝する聖母 |
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聖アントニウスと聖セバスティアヌス |
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森の中の池 |
1496 Watercolor and gouache on paper 26 x 37 cm 大英博物館 |
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聖母の七つの悲しみ |
1496-97 Oil on panel 中央 109 x 43 cm アルテピナコテーク ミュンヘン |
1.悲しみの聖母 2.キリストの割礼 3.エジプトへの逃避 4.博士たちと議論するキリスト 5.十字架を担うキリスト 6.十字架へのはりつけ 7.キリストの磔刑 8.キリストの哀悼 |
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風車 |
1496-98 Watercolor and gouache on paper 25 x 37 cm
Cabinet des Estampes, Bibliotheque Nationale de France, Paris |
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父の肖像 70歳 |
1497 Oil on panel 51 x 40 cm ロンドン・ナショナル・ギャラリー |
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デューラー 「 4人の魔女 」 1497 | 19x13.1cm |銅板 | ドイツ民族博物館 、ニュルンベルク |
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デューラー 「 海魔 」 1497 | 25.2x19cm |銅板 | メトロポリタン美術館、ニューヨーク |
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四人の騎士<ヨハネの黙示録> |
1498 Woodcut 39 x 28 cm |
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27歳の自画像 |
1498 Oil on panel 52 x 41 cm プラド美術館 スペイン |
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ドイツでは、まだ画家を芸術家ではなく、職人と考える傾向があった。これは、芸術家としての自尊心を持って仕事に取り組むイタリア人の画家達に接したデューラーにとって、許しがたいことであった。
この自画像は、そういったデューラーの苛立ちが現れている。やせ細り、傲慢できざな若者である。おしゃれで、高価な衣装を身につけ、巻き毛で、まるで貴族のようである。
窓枠の外に見える景色は、遠い山並みへ及ぶ。彼自身が、こんな地方では終わらないと言っているかのようである。そういった、彼の自尊心が大いにあふれ出ている絵なのである。
彼は自尊心というものを、持っていたし、他の人々の自尊心をも尊重した人物なのである。そこがデューラーのすばらしい資質なのである。
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大天使ミカエルと竜の戦い |
1498 Woodcut 39.2 x 28.3 cm |
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パウムガルトナー祭壇画 |
1498-1504 Oil on panel 中央 155 x 126 cm 左右 157 x 61 cm アルテピナコテーク ミュンヘン |
左:聖ゲオルギウス 中央:キリストの降誕 右:聖エウスタキウス |
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オスヴァルト・クレル |
1499 アルテ・ピナコテーク ミュンヘン |
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左:クレル家の紋章を持つ野人
右:妻の実家エーゼンドルフ家の紋章を持つ野人 |
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エルスベート・トゥッヒャー |
1499 Oil on panel 29 x 23 cm カッセル州立美術館 |
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28歳の自画像 |
1500 Oil on panel 67 x 49 cm アルテピナコテーク ミュンヘン |
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デューラー 「 天文学者 」 1500 | 木版画 | 大英博物館、ロンドン、イギリス |
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キリストの哀悼 |
1500-03 Oil on panel 151 x 121 cm アルテ・ピナコテーク |
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デューラー 「 聖エウスタキウス 」 1501 |銅板 |33.2x23.2 cm |フォッグ美術館、ケンブリッジ、マサチューセッツ、The
U.S. |
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デューラー 「 ネメーシス 」 1502 |銅板 |33.2x23.2 cm |カールスルーエ州立美術館 |
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子ウサギ |
1502 Watercolor and gouache on paper 25 x 23 cm |
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デューラー 「 死の紋章 」 1503 | 銅板|22x15.6cm | シカゴ美術研究所 |
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芝 |
1503 Watercolor and gouache on paper 41 x 32 cm |
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ヤーバハ祭壇画より 「ヨブとその妻」 |
1503-04 oil on panel シュテーデル美術研究所 |
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ヤーバハ祭壇画より 『2人の楽人』 |
1504 Oil on panel, 94 x 51 cm ヴァルラフ=リヒャルツ美術館 ケルン |
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アダムとエヴァ |
1504 Engraving, 252 x 194 mm カールスルーエ州立美術館 |
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聖母子像 |
1504-1507, wood ワシントン・ナショナル・ギャラリー |
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この聖母子の作品は、かつてはベリーニの作品と考えられていた。明らかに、ヴェネチア特有のクローズアップの半身像である。
デューラーにとって、ベリーニは理想を現実化することのできる画家の模範であった。しかしデューラーは理想に対する憧れを強く持っていたが、決して信じるきることができなかった。
デューラーのマリアは、肥満気味で威厳のある、北欧人の美しさを持っている。その子供はイエスであるが、ずんぐりとした鼻と、どっしりとした頬である。
人間の原罪の象徴であるりんごを持っている。イエスは、人間に不幸をもたらした、アダムとイヴの原罪を回復するために生まれてきた。
しかし、この赤ん坊は、イヴが盗んだりんごを後ろに隠し持ち、少しほっとした表情である。
右側は、大理石の壁の豊かな家族の家で、左側には樹木が茂り、城郭風の世界が広がってる。
悲しい、小さなイエスは、選択を迫られている。右側の安楽か、左側の上り坂か。
母はよそよそしい表情である。とてもイエスを助けてはくれなさそうである。
こういった、人間的な感情、あるいは内面性を表現する力が、デューラーを芸術家にしているのである。 |
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博士たちの間のキリスト 主題解説:聖書の物語へ行く |
1506 Oil on panel, 65 x 80 cm ティッセン=ボルネミッサ・コレクション マドリード |
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主題解説;
ナザレに住んでからの、その後のイエスについは聖書にくわしくは書かれていない。ただ、12歳になった時の逸話がルカに書かれている。 |
両親は毎年、過越際(すぎこしさい)にエルサレムへ旅をした。祭りが終わって帰路についたとき、12歳の少年イエスはエルサレムに残っていたが、両親はそれに気づかなかった。 |
探し回ったが、見つからなかったので、エルサレムに引き返した。三日後、エルサレムの神殿の境内で、少年イエスが学者たちの真中に座り、話を聞いたり質問をしたりしているのを見つけた。周りの者はみな、イエスの賢さに驚いていた。 |
母はイエスに向かって言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」 |
するとイエスは「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」と言った。 |
しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。 |
父の家とは神の家、神殿のことで、神の子イエスを強調した物語である。 |
子供の気持ちが分からない。親の世代の慣習が分からない。親子の断絶、世代間の不和 というテーマが、この物語にはある。 |
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アダムとエヴァ |
1507 Oil on panel, (各)209 x 81 cm プラド美術館 マドリード |
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デューラー 「 祈りの手 」 1508 | Brush drawing on blue primed paper,
29 x 19.7 cm | アルベルティーナ美術館、ウィーン、オーストリア |
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騎士と死と悪魔 |
1513 Engraving, 245 x 188 mm カールスルーエ州立美術館 |
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メランコリアT |
1514 Engraving, 239 x 189 mm カールスルーエ州立美術館 |
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天使が頬杖をついている。その顔つきは尋常ではない。今にも発狂しそうな表情である。頬杖のポーズは憂鬱気質をあらわし、天才の資質である。
天才の挫折をあらわすとか、霊感を受けている場面であるとか、いろいろと解釈されているようである。 |
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書斎のヒエロニムス |
1514 Engraving, 259 x 201 mm カールスルーエ州立美術館 |
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四人の使徒 |
1526 Oil on lindenwood, 各215 x 76 cm アルテ・ピナコテーク ミュンヘン |
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4人の使徒、、左がわから、聖ヨハネ、聖ペテロ(この二人は12人のイエスの使徒のうちの二人)、聖マルコ、聖パウロ(この二人はイエスの弟子であるが、キリスト教の布教に尽くした)である。
この4人の姿は、人間の四つの気質を表している。多血質(血色がよく、元気で快活)、粘液質(冷静・沈着)、癇癪もち(怒りっぽい)、黒胆汁質(憂鬱症)である。
4人の使徒は、いっしょになって全体を作っている。ちょうど、4っつの気質が、個人の中に、すべて備わっているように。
その気質の統一・バランスが人間の全体像を作る。
この4人は、個々人が英雄であり、同士である。
聖ヨハネは、多血質の男であり、楽天的でのんきである。彼の血色のいい頬、整っている額、そこにかかるカールの髪は、深紅の外衣に合っている。ヨハネの黙示録など、聖書を書いた一人として、本を持っている。
聖ヨハネの一般的な持ち物は、最後の晩餐に使った聖餐杯である。デューラーはここで、聖書を使い、伝統的なカソリックとの差別化を計っている。開かれたページには、第一章の最初の言葉が書かれている。ドイツ語に翻訳された、ルターの聖書である。1517年、「95か条の論題」を発表した後、宗教改革に向かっていくルターは、1521年に聖書をドイツ語に翻訳した。デューラーはルターのことを、「私を大きな不安から私を助け出したキリスト教徒」と呼んでいる。
聖ペテロは冷静沈着である。キリストに渡された、天国の鍵を持っている。うつむき、無表情に立っている。聖ヨハネの影に隠れるようである。聖ペテロは本来、衝動的な使徒として有名である。それが、ここでは一変して、天国の鍵を握る者にふさわしい様子になっている。それどころか、鍵の重みに耐えかねているような様子である。これは皮肉であろうか?
聖マルコは聖書の「マルコ伝」の記者である。怒りっぽい男で、目はぎらぎらと輝いている。しかし、何かを避けるように、視線を右側にそらしている。
聖パウロは、キリスト教をローマ帝国に熱心に伝えた弟子である。憂鬱気質の男である。聖書を閉じて、横目で我々を疑わしそうに見ている。彼の流れるような外衣は、重く、深い影を折り目に落としている。影は憂鬱気質の一部である。しかしながらこの影には、大変な威厳があるように思える。憂鬱気質は天才の典型的な性質とされた。
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皇帝マクシミリアン一世の肖像 |
1519 Oil on lindenwood, 74 x 62 cm ウィーン美術史美術館 |
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ルネサンス期の美術家は宮廷画家として王侯に仕えた者が多い。
デューラーもドイツ皇帝マクシミリアン1世から年金を得ていた。しかしデューラーはそのような地位に安住はしていない。
1518年、アウグスブルクでの議会開催のため皇帝が訪れたときに写生された素描をもとに、翌年制作された。
ザクロを持っているのは、皇帝は絵の完成を待たずに他界してしまったからである。
ザクロは復活の象徴である。 |
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デューラー 「 ロッテルダムのエラスムス 」 1526 | 銅板 |24.9x19.3cm
|ワシントン・ナショナル・ギャラリー |
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デューラー 「 聖書と手 」 |28x12cm | ミュンヘン |
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