クールベ、ギュスターヴ |
(1819-1877) |
フランス 写実主義 |
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当時の画壇の潮流であった、絵画の理想化を拒否。視覚に忠実なレアリスムを確立。 |
同朋の、ドーミエとジャン・フランソワ・ミレーとで、19世紀中頃の写実主義を推し進めた。
絵画の批評家や一般の人々は、実際の生活よりも良く描かれている絵画に慣れていた。
クールベはこれに反対した。普通の場所や人々をそのまま描いた。
1840年ころ、表面的には法律の勉強をするとして、パリに出る。実際は、ルーヴル美術館で名作を模写して、独学した。1844年に、自画像の
Courbet with a Black Dog が、サロンで認められた。
「生まれながらの共和主義者」と言っていたほど、社会的関心が高い画家であった。
1848年の革命とそれに次ぐ、第二共和制は彼にとって理想であった。
その理想を踏みにじったのがナポレオン三世である。
第二帝政時代、政府がクールベにレジオン・ドヌール勲章と授与しようとした。
「それよりも私は自由がほしい」
クールベはこう言い放ち、拒絶した。 |
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クールベ 「 自画像 (傷ついた男) 」 | 1844-54 | 81x97cm |オルセー美術館、パリ |
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クールベ 「 自画像 (チェロを弾く男) 」 | 1847 | 117x90cm |ストックホルム国立美術館 |
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クールベ 「 自画像 (パイプの男) 」 | 1849 | 45x37cm |ファーブル美術館、モンペリエ |
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クールベ 「 オルナンの埋葬 」 1849-50|314 x 663 cm | オルセー美術館、パリ |
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1850年に、The Stone Breakers を発表した。道路を直している労働者を描いた。さらに、
Burial at Ornans で、無名の貧しい農民が取り囲んでいる、ひなびた埋葬の情景を描いた。
これらの作品は、ロマン主義や古典的装飾様式の絵画のように、美化された金持ちを描くかわりに、農民を実際の背景の中に登場させた。故意にロマン主義と古典的装飾様式を擁護するアカデミズムを侮辱したのである |
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クールベ 「 出会い 「こんにちわ、クールベさん」 | 1854 | 129x149cm |ファーブル美術館、モンペリエ |
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クールベ 「 画家のアトリエ(わが芸術的生活の7年にわたる一時期を定義する現実的寓意画)
」 | 1855 | 361 x 598cm | オルセー美術館、パリ |
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クールベ 「 ジョーの肖像 (美しきアイルランド女) 」 1865 (?) | 54x65cm
|ストックホルム国立美術館 |
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画家ホィッスラーの恋人ジョアンナ。 |
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